ハル王子
——シェイクスピア最大の「成長物語」は、友を捨てる話である
ヘンリー四世・第一部/第二部/ヘンリー五世——三部作をまたぐ人物の変化を追う
キャラクターの成長物語(いまふうに言えばキャラクターアーク)として、シェイクスピアが書いた最大のものは何か。僕の答えは決まっていて、ハル王子だ。場末の酒場に入り浸る放蕩王子が、三本の劇をまたいで、国民的英雄ヘンリー五世になる。折り紙つきの成長譚である。
ただし、この成長譚には二つ、とんでもない仕掛けがある。ひとつ——本人が最初から「更生は計画済み」だと種明かししてしまうこと。ふたつ——この物語の完成には、親友を公衆の面前で捨てるという代金が設定されていること。今回はこの二つの仕掛けを軸に、シェイクスピア最大の人物変化を追いかけてみたい。
第一部——遊んでいるのではない、「遊ぶ自分」を上演している
ヘンリー四世・第一部
劇の序盤、観客は酒場で悪ふざけに興じる王子を見せられる。追いはぎの計画に乗っかり、仲間をだまして笑い、フォルスタッフと罵り合う(COLUMN 04で鑑賞したあの「肉の山」対「棒鱈」の応酬だ)。どこから見ても駄目な跡継ぎである。ところが仲間が退場して一人になった瞬間、王子は突然、観客に向かって別人の声で語り出す。
I know you all, and will awhile uphold / The unyoked humour of your idleness: / Yet herein will I imitate the sun.
おまえたちのことは全部わかっている。しばらくは、この放埒な馬鹿騒ぎに付き合ってやろう。だがそのあいだ、俺は太陽のやり方を真似るのだ。(拙訳)
『ヘンリー四世・第一部』第1幕第2場
太陽は、あえて雲に隠れることで、再び現れたときの輝きを増す。だから俺は今、わざと駄目な王子を演じておく。世間の期待値を下げておいて、しかるべき時に「更生」してみせれば、最初から品行方正だった場合より、はるかに大きな驚きと賞賛が手に入る——。
恐ろしい独白だ。THEME 04で見たとおり、独白は本心を語る装置である。つまりこの放蕩は、迷いでも堕落でもなく、戦略的な自己プロデュースなのだ。しかも劇の第1幕、観客がまだ「駄目な王子」を楽しんでいる段階で、シェイクスピアはこの種明かしを置いた。以後、観客は酒場の場面を二重の目で見ることになる。無邪気に遊ぶ王子と、遊びながら遊びを査定している王子。THEME 01の言葉で言えば、ハルの放蕩は「宣言された演技」であり、ハムレットの狂気と同じ構造をしている。
第二部——「あの太った男を追放したら、世界を追放することになる」
ヘンリー四世・第二部
だが、演技はそう簡単に割り切れない。ここがこの三部作の深いところだ。酒場でのハルは、演技だと自称するには、あまりに楽しそうなのだ。そしてその中心には、いつもフォルスタッフがいる。嘘つきで、大酒飲みで、金にだらしなく、戦場では死んだふりをする臆病者。そして、シェイクスピアが書いたいちばん愛される人物——生命力そのものを人の形にしたような男だ。
第一部の酒場に、忘れがたい場面がある。王子とフォルスタッフが、悪ふざけで「王と王子の面会」の即興芝居をやるのだ。フォルスタッフが王を演じ、ハルが自分を演じる。次いで役を交換し、ハルが父王を演じ、フォルスタッフが王子を演じる。「王」ハルは、王子の悪友フォルスタッフを口汚く罵ってみせる。すると「王子」フォルスタッフは、自分で自分を弁護して言う。あの男を追放してはなりません、と。
Banish plump Jack, and banish all the world.
丸々太ったジャックを追放なさるなら、それは世界のすべてを追放なさるということですぞ。(拙訳)
『ヘンリー四世・第一部』第2幕第4場
これに対するハルの返事が、たった四語。「I do, I will.——追放するさ。いずれ、必ず」。芝居の中の台詞として、笑いながら。しかし観客は第1幕の独白を聞いているから、これが芝居ではなく予告だと知っている。じゃれ合いの即興劇の中に、未来の処刑宣告が埋め込まれている。シェイクスピア全作品でも屈指の、笑いながら寒くなる瞬間だ。
第二部を通じて、ハルは着実に酒場から足が遠のいていく。父の死の床で王冠と和解し(THEME 08で見た、あの「まっすぐにかぶれるだろう」の場面だ)、即位する。そして戴冠パレードの沿道に、知らせを聞いて田舎から駆けつけたフォルスタッフが、群衆をかき分けて躍り出る。「ハル! 俺の王様! 俺の心臓!」。新王は立ち止まり、かつての親友を見下ろして、こう言う。
I know thee not, old man: fall to thy prayers; / How ill white hairs become a fool and jester!
老人よ、私はあなたを知らない。祈りに励むがいい。白髪頭に道化の真似ごとの、なんと似合わないことか。(拙訳)
『ヘンリー四世・第二部』第5幕第5場
「I know thee not(あなたを知らない)」。第一部の独白の書き出しは「I know you all(おまえたちのことは全部わかっている)」だった。知り尽くした男を、知らないと言う。計画は、宣言どおり、完遂された。
ヘンリー五世——成長の完成形と、舞台の外の死
ヘンリー五世
『ヘンリー五世』のハルは、名実ともに理想の王だ。THEME 08で見たとおり、変装して兵の本音を聞き、王という役を冷静に見切った上で完璧に演じ、アジンコートで歴史的勝利を挙げる。キャラクターアークは完成した。雲を抜けた太陽は、予告どおりの輝きで人々の上に昇った。
では、捨てられた男はどうなったか。シェイクスピアの処理は残酷なほど静かだ。フォルスタッフは『ヘンリー五世』に登場しない。彼の最期は、酒場の女将の伝聞でのみ語られる。熱を出して寝つき、指先で敷布をいじりながら、うわごとで緑の野原のことを呟いて死んだ、と。そして仲間の一人が、死因をひとことで診断する。
The king has killed his heart.
王様が、あの人の心臓を殺しちまったのさ。(拙訳)
『ヘンリー五世』第2幕第1場
COLUMN 05で「悲しみで死ぬ人々」を数えたが、フォルスタッフはその筆頭だ。あれだけの生命力の塊が、戦場でも絞首台でもなく、たった一言「あなたを知らない」で死ぬ。シェイクスピアは英雄王の凱歌のかたわらに、その代金の領収書を、きちんと貼りつけておいたのだ。
これは成長なのか——キャラクターアークの値段について
さて、冒頭の問いに戻る。ハル王子の物語は、シェイクスピア最大の成長物語だ。しかし三部作を通しで見たとき、それを「成長」と呼んでいいのか、僕は毎回わからなくなる。
普通、成長物語とは、人が経験を通じて変わる話だ。だがハルは第1幕の独白の時点で完成している。彼は変わったのではなく、予定表どおりに切り替えた。変わったように見せる演出込みで。だとするとこのアークの正体は、成長ではなく、極上の即位パフォーマンスだったことになる。
ただ、それだけでもない気がするのだ。計画では、酒場は「駄目な王子を演じる舞台装置」のはずだった。でもフォルスタッフとの即興芝居のハルは、装置の中で本当に笑っていたように見える。演技のつもりで浸かった世界に、本物の友情が生えてしまった。だからこそ「追放するさ、いずれ、必ず」は、観客への予告であると同時に、自分自身への言い聞かせに聞こえる。そして戴冠の日、彼は予定どおりに友を切り、予定どおりに太陽になり、その代金として、彼を「ハル」と呼ぶ最後の人間を失った。以後、彼をあだ名で呼ぶ者は劇中に二度と現れない。
キャラクターデベロップメントとは、獲得の記録であると同時に、喪失の記録でもある——ハル王子の三部作は、そのことをたぶん演劇史上最初に、そして最も痛烈に書いた実例だ。成長物語を書きたい人は、主人公が何を得るかと同じ精度で、誰に「あなたを知らない」と言わせるかを設計するといい。400年前の教科書に、ちゃんとそう書いてある。