「マクベス」と言ってはいけない
——劇場最大のジンクス「スコットランドの芝居」
呪われた演目をめぐる、400年ものの都市伝説
英語圏の演劇界には、有名なジンクスがある。劇場の中で「マクベス」というタイトルを口にしてはいけない、というものだ。
どうしても言及したいときは、遠回しに「スコットランドの芝居(The Scottish Play)」と呼ぶ。主役を指すときは「スコットランドの王」。上演の準備中だろうと、まったく別の芝居の楽屋だろうと、劇場という建物の中ではこのルールが生きている。うっかり口にした新人が、先輩に真顔で「お祓い」をさせられる——そんな光景が、今でも英米の楽屋には残っているらしい。
タイトルを言うだけで不幸が起きるとされる演目は、世界の演劇史を見渡してもこれくらいだ。今回はこの「呪われた芝居」の伝説の中身と、なぜこんなジンクスが400年も生き延びたのかを、肩の力を抜いて考えてみたい。
伝説その1——初演から呪われていた(らしい)
ジンクスの起源としてよく語られるのは、こんな伝説だ。1606年ごろの初演のとき、マクベス夫人を演じるはずだった少年俳優(THEME 03で見たとおり、女性役は少年が演じた)が直前に急死し、シェイクスピア本人が代役を務めた——。
いかにもそれらしい話だが、先に言ってしまうと、これを裏付ける同時代の記録は見つかっていない。何世紀もあとに書かれた「そう言われている」話が、繰り返し引用されて定着したものだ。もうひとつの定番が「劇中の魔女の呪文は本物の黒魔術からの引用で、本物の魔女たちが怒って劇を呪った」という説で、これも出どころは確認できない。ただ、この説が生まれる土壌はあった。『マクベス』が書かれたのは、魔女研究書『悪魔学』を自ら著したジェイムズ一世の治世。魔女は実在の脅威として裁判にかけられていた時代だ(このあたりの背景は THEME 06 で詳しくやった)。舞台の上とはいえ呪文を唱えるこの芝居が、「触れてはいけないものに触れている」感覚を観客に与えたのは、想像に難くない。
Double, double toil and trouble; / Fire burn, and cauldron bubble.
増やせ、増やせ、苦労と災い。火よ燃えろ、大釜よ煮えたぎれ。(拙訳)
『マクベス』第4幕第1場・魔女たちの呪文
伝説その2——上演のたびに何かが起きる(ことになっている)
ジンクスを補強してきたのは、上演史に積み重なった「事故リスト」だ。有名どころを挙げると——
1849年、ニューヨークでは、二人の名優によるライバル上演をきっかけに劇場前で暴動が起き、軍が発砲して20人以上が死亡した(アスター・プレイス暴動。これは伝説ではなく歴史的事実だ。ただし原因は呪いではなく、英国人スターと米国人スターのファン同士の対立に、当時の階級対立と反英感情が重なったものとされる)。1937年、名優ローレンス・オリヴィエの上演では、稽古中に舞台装置の重りが落下して、彼のすぐそばをかすめたと伝えられる。ほかにも、剣が客席に飛んだ、主演が降板した、劇場が火事になった——この演目にまつわる不運の逸話は、数え切れないほど語り継がれている。
もっとも、冷静に考えれば種明かしの半分は見えている。『マクベス』は400年間、世界中で上演され続けてきた超人気演目だ。上演回数が桁違いに多ければ、事故の絶対数も多くなる。しかも殺陣が多く、夜と嵐の場面ばかりで照明は暗く、階段や高低差のある装置が定番ときている。物理的に事故が起きやすい芝居なのだ。そして「呪われた演目」というレッテルが一度貼られると、この演目で起きた不運だけが記憶され、語り継がれる。他の芝居でも毎晩起きているはずの小さな事故は、誰も数えていない。
それでも劇場人がジンクスを守り続ける理由
面白いのはここからだ。種明かしがだいたい見えているのに、ジンクスは一向に廃れない。それどころか、うっかりタイトルを口にしてしまったときの「お祓い」の手順まで、ちゃんと整備されている。流派によって細部は違うが、よく知られているのはこんな作法だ。楽屋を出て、三回まわって、つばを吐き、悪態をつき、ノックをして入室の許可をもらう。あるいは、シェイクスピアの別の台詞——たとえば『ハムレット』の「天使と恵みの御使いよ、我らを守りたまえ」——を唱えて中和する、というバージョンもある。
呪いをシェイクスピアで祓う。よくできている。僕がこのジンクスを好きなのは、ここに劇場という共同体の性格がよく出ていると思うからだ。初日の前に「幸運を祈る」と言ってはいけないから「脚を折れ(Break a leg)」と言う、口笛は吹かない(舞台装置の合図と紛れるから、という実用的な起源説がある)、など、劇場は縁起かつぎの宝庫だ。毎晩、生身の人間が、一度きりの本番を、大勢の連携で成立させる場所。どれだけ稽古しても、今夜何が起きるかは分からない。コントロールできないものが多い仕事ほど、儀式が発達する。船乗りと同じだ。
それに、このジンクスには実利もある。楽屋で「スコットランドの芝居」と言い換えるたび、その場の全員が「自分たちは同じ掟を知る仲間だ」と確認し合うことになる。新人にお祓いをさせるのは、いじりであると同時に、共同体への入会儀式でもある。呪いの正体は、たぶん恐怖ではなく結束なのだ。
呪われているのは、たぶん芝居の中身のほう
最後に、少しだけこのサイトらしい話を。数ある演目の中で、なぜ『マクベス』だけが「呪われた芝居」に選ばれたのか。事故の多さだけなら、他の演目でもよかったはずだ。
僕の読み方はこうだ。『マクベス』は、シェイクスピア劇の中でもっとも「触れてはいけないものに手を出す」物語だからだ。禁じられた予言を信じ、越えてはいけない一線を越え、そして眠りを失っていく。劇の中身そのものが、禁忌と伝染の物語なのだ。この芝居を演じるとは、毎晩その禁忌を舞台の上でなぞることであり、演じる側に「うつりそう」な感覚が生まれるのは、ある意味で作品への正しい反応だと思う。タイトルを口にしないという掟は、この芝居の怖さがちゃんと伝わっていることの、400年分の証明書なのかもしれない。
ちなみにこの記事は劇場の外で書かれているので、遠慮なくタイトルを連呼させてもらった。もしあなたがいつか英語圏の劇場の楽屋を訪ねることがあったら、そこでだけは「あの、スコットランドの芝居ですが……」と切り出すのをおすすめする。たぶん、ニヤリとされて仲間に入れてもらえる。